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トランスラピッドの歩み
1935年 | ヘルマン・ケンパーが電磁石を用い隙間を作った状態でおもりをつるす実験に成功。「磁力により鉄道線路上に浮上・案内走行する車輪を用いない車両による浮上鉄道」の特許を取得。 |
磁気浮上のアイデアに対する批判:「車両を線路から持ち上げるために必要とする力はかなり大きく、少なくとも線路上にある車両を駆動する際の摩擦抵抗に打ち勝つために必要な力より大きい。その上に更に力を必要とするので、当然のことながらコストはより高いものとなる。」(ドイツ連邦鉄道)
ケンパーたちの反論:「この新しいシステムは多くの利点を有しており、避けることのできない物理的なコスト増は認めるとしても、全体的には、短期間にそれを償うことができる」。コストの点では鉄道より劣ることをケンパーたちも認めていた。
1960年代の日本の新幹線や欧米の空気浮上式鉄道の開発に刺激をうけ、連邦政府による「高性能・高速鉄道」(HSB)計画の研究・調査が始まる。
1970年 | クラウス・マッファイ社の「トランスラピッド01」(電磁吸引式)。 |
1971年 | メッサーシュミット・ベルコウ・ブロム社の「基本原理実験車」(電磁吸引式)。 |
1972年 | 空気浮上の「トランスラピッド03」。 |
ドイツも超電導方式を研究
1972年 | AEG-テレフンケン、ジーメンス、BBCが超電導方式の研究を開始。エルランゲンに環状試験線を設置し1974年から、試験車の「EET01」、「EET02」(超電導電磁誘導反発式)で走行実験を行う。 |
1974年 | メッサーシュミット・ベルコウ・ブロム社とクラウス・マッファイ社が「トランスラピッドEMS社」を設置。 |
1975年 | 「トランスラピッド04」(電磁吸引式)。 |
1977年 | 各社が集まりトランスラピッド・コンソーシアムを設立。磁気吸引・地上1次・同期式リニアモーター駆動を選択。 |
ドイツの超電導磁気浮上実験車
ドイツが超電導方式を採用しなかった理由
・1.渦電流によるエネルギー消費が大きい(金属の建築資材に制限)
・2.浮上・着地用の車輪装置、超電導磁石の冷却装置など余分な車上装置が必要
・3.乗客や持ち物に対する強力な磁場の影響が不明
・4.全ての運転状態での快適な乗り心地を得るための技術が未解決
・5.低速時の磁気抵抗の問題(JRリニアでは解決)
※ 5 以外は、解決できていない
⇒日本のリニアの開発の初期にはガイドウェイの底面に浮上用コイルを設置。この状態では低速時に抵抗が大。後に現在のような側面に8の字型のコイルを設置する方式に変更。8の字の上と下は逆巻きにしてあって、この中間の位置に車体側の超電導磁石を通すことで磁気抵抗を減らした。
1979年 | ハンブルグ博覧会で「トランスラピッド05」を公開。 |
1982年 | トランスラピッド・インターナショナル社設立。 |
1988年 | 「トランスラピッド06」が412.6㎞/h達成。 |
1987年 | エムスランド実験線完成。 |
1989年 | 「トランスラピッド07」が435km/h達成。 |
1996年 | ドイツ連邦政府が「磁気浮上鉄道需要法」を制定。ハンブルグ・ベルリン間の需要予測のやり直しをさせる。 |
2000年 | 連邦政府はハンブルグ・ベルリン間のトランスラピッド建設中止を決定。 |
2004年 | 「上海トランスラピッド」(トランスラピッド08)開業。 |
2007年 | 上海万博に向けた延伸計画に住民の反対。5月には上海市政府高官が延伸計画は中止されたと発言。 |
2008年 | ミュンヘンの空港アクセス路線計画中止。ドイツ国内でのトランスラピッドの建設が全面中止に。 |
2011年 トランスラピッドの開発が終了。
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